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広島高等裁判所 昭和24年(ツ)1号 判決 1949年11月28日

上告人 被控訴人・被告 神崎徳

訴訟代理人 吉岡栄八 柳田守正 池内善雄

被上告人 控訴人・原告 酒井忠晃

主文

本件上告はこれを棄却する。

上告費用は上告人の負担とする。

理由

本件上告理由は末尾添付の上告理由書謄本記載の通りであるからこれに対し次の通り判断する。

上告理由第一点第二点に対する判断。

上告人等が本件売買を知つてから満九年を経過した後本訴を提起したことが、櫻間一二に代理権限があつたことを示す重要な証拠であるとの主張は、上告人が原審において提出しなかつた事柄であるから、この点について原審が特に説明をしなかつたことは証拠の判断を遺脱したことにはならぬ。またかかる事実ある以上、他の証拠を無視してそれのみによつて必ず櫻間一二に代理権のあつた事実を認定せねばならぬという経験則も存在しない。また所論の如く、満九年を経過した後訴を提起した事実があつても、他に同人に代理権のなかつた事実を認定しうる直接の証拠がある以上、何故長年月の間そのままにして置いて訴訟を起さなかつたのかの理由を判示せずして、これを採つてその代理権のなかつたことを認定しても、経験則に反し不法に事実を確定しまたは採証の法則に反するとはいえない。原審は、挙示の各証拠資料を綜合して本件売買について櫻間一二に代理権のなかつたことを適法に確定したものであつて、これによれば優にかかる事実を認定し得る。原判決には所論のような各違法の点は存しない。

所論は畢竟原審の専権に属する証拠の取捨判断事実の認定を非難するに帰し、採用するに足らぬ。

上告理由第二点に対する判断。

原判文を通読すると原審は、本件土地は蝋石を埋蔵しその価格は当時尠くも数万円の価格を有すること、上告人は数十年来本件土地の両側隣地において蝋石の採掘を営みおり、上告人の母アキ及び由久与(本件土地の前所有者)は共に本件土地の所在地である三石町に居住し懇意の間柄であつて、上告人は姫路市に居住し屡々三石町に帰省していたこと、櫻間一二もまた三石町方面で居常金融周旋業を営みおり、上告人も櫻間一二も当時本件土地に関する這般の事情につき相当知識を有していたこと、並びに上告人は売買に当り売買の真否乃至櫻間の代理権の有無等につき何等調査を為すことなく本件売買をした事実を適法に確定し、更に進んで右の如き事情の下において上告人が五六百円という異例の安価をもつて売買せんとする場合には、その真否乃至櫻間の代理権の有無等につき特に調査をするのが相当であつて、容易く売買を真なりと信じて契約するが如きは上告人に過失あるものと認めるのが相当であると判示しているのであつて、これによつて見ると本件土地が数万円の価格を有すと説示した趣意は、本訴訴訟物の価額の認定をしたのではなくして単に本件土地の隣地において多年蝋石の採掘業を営んでいる上告人がこれを買取るとするとその価値は本件買受代金よりはるかに高価な価額であること、即ち上告人にとつては特別価値を有することを説示し、従つて本件売買が正常の取引でないことを説明せんとする趣旨であることが看取できる。そして本件訴訟物(単に宅地としての土地百五十一余坪の所有権)の価額、即ち受訴裁判所がこれにつき被上告人(原告)が勝訴判決によつて直接受ける利益を客観的に評価した価額(六百五十円)と、蝋石の採掘業者たる上告人(被告)が蝋石を埋蔵する土地を取得するものとして評価する価値との間に、彼是相違のあることは元より当然であつて、裁判所が一方において本件訴訟物の価額を金六百五十円と認定しながら他方において上告人の有する特別価値を数万円と認定しても何等矛盾するものではない。原判決が挙示の証拠により右判示の如く認定する以上進んで本件土地の価額が幾程であるかを釈明し更に所論のような鑑定を命ずる要はない。また原判決理由中には本件土地の価額を数万円と認定したに拘らず他方においてこれを金六百五十円と認定した事跡は見当らないから原判決には所論のような理由が前後矛盾し理由そごの過誤があるとはいえない。結局原判決には所論のような違法はないから論旨は採用し難い。

上告理由第四点に対する判断。

訴訟物の価額は訴訟の事物管轄を定める基準とする為に受訴裁判所が訴提起の時を標準として職権を以てこれを評価すべきものであつて、本件において受訴裁判所は、本件訴訟物の価額即ち本件宅地として土地百五十一余坪の所有権につき、被上告人が勝訴判決を受けることによつて直接受ける利益を客観的に金六百五十円と評価し、これに相応する印紙を訴状に貼用せしめたものであることは記録上明白である。

原判決が本件土地の価額を尠くとも数万円と判示したのは本件訴訟物の価額につき、右受訴裁判所の評価を失当と認め、更にこれを数万円と認定したものでないことは上告理由第三点において説明した通りであるから、所論は結局原判決の認定しない事実に拠つて原判決を攻撃するに帰し適法な上告理由といえない。論旨は採用し難い。

上告理由第五点に対する判断

原判決が所論の如く判示して上告人の取得時効の抗弁を排斥したことは相違ないが、民法第百六十二条第二項所定の無過失の事実は時効を主張する者においてその立証責任あることは解釈上疑ないところであるから、本件において同条の時効を主張する上告人に先ず無過失の立証責任ある旨判示したのは相当である。而して原審は単に無過失の立証がないと云うのみで上告人の取得時効の抗弁を排斥したのではなくして、判示の如く進んで特別事情のあることを適法に確定し、以て櫻間一二が由久与の印鑑並びに本件土地の権利証書を所持していたのみで上告人が櫻間一二に代理権ありと信じたのは過失であると認定したものであることは、原判文を通読するにより看取できるから、原判決には所論のような違法はない。

よつて本件上告は理由ないものと認め民事訴訟法第四百一条第八十九条により主文の如く判決をする。

(裁判長裁判官 小山慶作 裁判官 井上開了 裁判官 宮田信夫)

上告理由

第一点原判決は重要な証拠を遺脱し又は経験則に反して不法に事実を確定したか若くは理由不備の違法がある。原判文に依ると原審は挙示の証拠に依り本件売買契約は櫻間一二が末広由久与から与えられた権限を踰越してした権限外の行為である旨を認定しその認定に反する櫻間一二の第一、二審に於ける証言及び控訴本人並に被控訴本人の第一審に於ける供述は措信し難くとし、その他に右認定を左右するに足る証拠がないと判断して居るが原判決が認定に供した矢部鹿野の証言等に依ると、由久与が本件売買を知つたのは昭和六年十二月で矢部鹿野等が之を知つたのは同七年一月であると云うから同人等が本件売買を知つてから本訴が提起された昭和十六年一月まで満九年を経過して居る。たとえ鹿野等の云うようにその間被上告人が病気したことがあつたとしても売買が櫻間一二の権限外の行為であつたとすればこんなに長年月の間その儘にして置く筈がないことは吾人の経験上明白な事実である。殊に鹿野等はこの土地が高価なもので末広家の宝だと云い原判決も亦売買当時数万円の価額ある土地だと認定して居るがそのような土地ならば尚更九年と云うような長い間その儘にして置く筈がないのである。その儘にして置いたのは櫻間一二に権限があつたことを示す重要な証拠であるから右権限がなかつたと認めるが為にはこの証拠につき首肯できる説明をしなければならない。然るに原判決は単に他に右認定を左右するに足る証拠がないと説示するに止まつたのはこの有力な証拠に思い至らないで、これを遺脱したかこれに思い至つたけれども経験則に反し不法に事実を確定したか又はその証拠説明を附せない理由不備の違法があるものと云わねばならぬ。

第二点原判決は経験則に反して証拠の取捨判断をし延て事実の認定を誤つた違法がある。証拠の取捨判断は事実審の専権に属するけれどもその専権行使は経験則に反してはならぬ。第一点で述べたように九年間もその儘にして置いたことは櫻間一二に代理権があつたと見るべき有力な証拠であり又確固不動の証拠である。その代理権がなかつたと云う一片の証言では容易に覆し得べきものではない。何故に長年月の間その儘にして置いたかを仔細に検討し照し合せて適切に他の証拠を取捨判断せねばならぬことは経験則の命ずるところである。然るに原判決は事茲に出です漫然証拠の取捨判断をして本件売買契約は櫻間一二の権限外の行為だと認定し他に右認定を左右するに足る証拠がないと一蹴し去つたのは吾人の経験則に反して証拠の取捨判断をし延て事実を誤認した違法がある。

第三点原判決には審理不尽理由齟齬理由不備の違法がある。

原判決は本件土地は売買契約当時数万円の価額を有し上告人は之を知つて居たからこの土地を五、六百円と云うような異例の安価で売買する場合には代理人たる櫻間一二にその権限があるかどうかを調査すべきものであるのに、上告人がそれを調査しなかつたのは過失であるから上告人が櫻間一二に代理権ありと信じて売買契約をしても之を信ずべき正当の理由がない旨判示して民法第百十条に依る上告人の抗弁を排斥した。この判示の根幹を為すものは本件土地の売買契約当時の価額が数万円であると云うことであり、この根幹が動けば判示全体も亦動かざるを得ないのであるからこの根幹につき考えて見たいと思う。

(一)昭和十六年一月岡山区裁判所に提出せられた本件訴状には訴訟物の価額を金六百五十円と表示し之に相当する印紙が貼用してあり裁判所はこの訴状に基き審判せられたことは顯著な事実である。本件売買契約の為された昭和五年一月当時の物価に比べて右訴提起当時には一般が物価が桁違いに安かつたと云うようなことのないことは吾人の経験上明かであり、又右売買の目的物である土地の価額が売買契約当時に比べて訴提起の当時には桁違いに安くなつたと見るべき特殊の事情もない。それゆえ本件土地の売買契約当時に於ける価額が数万円であるならば訴提起当時の価額が数千円又は数百円である筈はなく又訴提起当時の価格が六百五十円であるならば売買契約当時の価額が数千円又は数万円である筈はない。然らば被上告人が本件土地の訴提起当時の価額を六百五十円と云い売買契約当時の価額を数万円と主張するのは甚しい矛盾である。然るに原審は釈明権の行使等に依りこの矛盾を是正するの挙に出づることなくその儘看過し右訴状を有効と認めて審判しながら判決理由に於てその土地の価額を数万円と判示したのは原判決自らも亦右矛盾を踏襲し同じ土地の価額を一方では六百五十円と認め他方では数万円と認めたのであつて釈明権の不行使等の結果理由齟齬に陷つたものと云うべきである。

(二)原判決は挙示の証載に依つて本件土地の売買契約当時の価額を尠くも数万円と判定したが、その証拠を通覧すると末広唯次の証言以外にはその価額につき数字に関する供述はない。右末広唯次の証言を見ると「本件土地は五、六百円の相場では馬鹿に安いです。買手にもよりましようが鉱石も相当含んで居るので証人が売るとしますれば十万円より下ではよう売りませぬ」とあつて売ると云う時期は訊問を受けた昭和十八年十一月二十七日当時のように解される。尠くとも本件売買契約当時か右訊問を受けた当時か明かでない。このような証拠だけで売買契約当時の価額を数万円と認定するのは相当でない。況んや前記のように被上告人は訴状で訴訟物の価額を六百五十円と表示して居るのであるから原審は須らく昭和二十年六月二十日附書面に依り控訴代理人の申出に係る鑑定(隣接地で採掘し居る鉱石と同一鉱石が係争地より産出し得るものなりや否やの鑑定)を採用し之に関連して係争地の価額の鑑定をも為さしめ愼重に審理を遂げた上その価額を判定し前叙釈明権の行使と相俟つて(一)で云つた矛盾を解くようにしなければならなかつたに拘らず斯る措置を怠り前示の如く軽々しく価額の認定をしたのは違法である。

畢竟原判決には以上のように審理不尽理由齟齬理由不備の違法がある。

第四点原判決は法令に違反して本件訴状を有効とし、被上告人の請求を認容した違法がある。

原判決は本件売買契約当時に於ける本件土地の価額を尠くとも数万円と判示して居るのであつて本訴提起当時の価額がそれより桁違いに安くないことは既に第三点に於て説明した通りであるから原審がその価額に基き相当の印紙を訴状に加貼せしめない限り、訴状は無効であることは民事訴訟用印紙法第十一条に依り明かである。それゆえ原審は先ずその価額を確定した上印紙の加貼を命じ被上告人が加貼すればよいが、若しか加貼しなければ本訴を不適法として却下しなければならない。然るに原審は右加貼を命ずることなくその加貼なき無効の訴状を有効とし被上告人の請求を認容したのは法令に違反した判決だと云うべきである。

第五点原判決は上告人に対し不法に立証責任を科し且審理不尽理由齟齬理由不備の違法がある。

原判決は上告人が昭和五年一月七日より所有の意思を以て善意平穏且公然に本件土地を占有する事実を認定しながら「民法第百六十二条第二項所定の無過失については時効を主張する者に之が立証の責任存するところ被控訴人の立証に拠りでは之を認め難く却て被控訴人はその占有の始に於いて過失ありたること前認定の如くであるから本件につき同条項を適用し得ざるものである被控訴人の時効の抗弁も亦理由がない」と判示して上告人の時効の抗弁を排斥した。然し原判示に依ると末広由久与は櫻間一二に対し自己所有の土地を担保として株式会社上郡銀行から金員借入の手続をすることを委託し同人に自己の印鑑並びに本件土地その他の土地に関する権利証書を交付したところ櫻間一二は擅に由久与名義を冒用して本件土地を上告人に代金五百二十円にて売却し由久与名義の売渡証書を偽造して上告人の為本件土地の所有権取得登記をしたと判断して居るのであつて、判示のように櫻間一二が由久与の印鑑並びに本件土地の権利証書を所持する以上は上告人が櫻間一二にその土地売却の代理権限ありと信ずるのは他に特別の事情がない限り当然であつて別段の証拠を俟たないで過失がないものと認めねばならぬ。而して右特別の事情があつて上告人に過失があるとの原審の認定に違法があることは既に第三点で説明した通りであるから原審が上告人の立証に拠つては無過失を認め難いと判断したのは上告人に対し不法に立証の責任を科したものに外ならないと共に上告人に過失があるとの原審認定の違法は第三点と同様審理不尽理由齟齬理由不備に在るゆえ結局時効の抗弁を排斥した原判示には冐頭記載の違法がある。

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